シリーズ【人間って、めんどくさい。】
– クリアサイトジャパン代表の、ちょっと深い人間観察 –
「人のため」のつもりが、実は自分のためだったり。人間の行動には、本人さえ気づかない本音や思い込みが隠れているもの。クリアサイトジャパン代表・飯田まりの(麻璃凛/まりりん)が、日常に潜む人間の矛盾や意識の不思議を、ちょっと辛口、ユーモアを交えてひもとく全5話。自分の人生を自分で選ぶためのヒントをお届けします。
あなたの人生、誰の許可待ちですか?
「私、ちょっと新しいことを始めようと思っているの」
友人との会話で、そんな話になりました。
「いいじゃない! やってみたら?」
すると、こんな返事が返ってきます。
「でも、夫が何て言うかな……」
なるほど。ご主人に相談するんですね。
「別に反対はしないと思うんだけど、あまりいい顔はしないかもしれないし」
あれ? まだ反対されていないんですね。
「それに、今さらそんなことを始めてどうするのって思われそうだし」
なるほど、思われそうなんですね。
「だから、もう少し自分で何とかしてからにしようかな」
……ちょっと待ってください。
まだ誰にも反対されていません。
相談すらしていません。
それなのに、すでに計画は延期になっているのです。
誰も「ダメ」と言っていないのに、自分で「不許可」を出してしまう。
実に慎重な審査です。
しかも、審査員は本人の想像の中にしか存在しません。
人間って、めんどくさいですね。
大人になっても終わらない、人生の稟議書
子どもの頃、私たちはいろいろなことに親の許可を必要としていました。
友達の家に遊びに行ってもいい?
お小遣いでこれを買ってもいい?
この学校に進学してもいい?
子どもには、保護者の判断や同意が必要な場面がたくさんあります。
ところが、大人になれば、自分で決められることが増えていきます。
どんな仕事をするのか。
誰と付き合うのか。
何を学ぶのか。
休日をどう過ごすのか。
自分の時間を何に使うのか。
もちろん、家族との共同生活には相談や調整も必要です。
でも、それと自分の希望について誰かの許可を求めることは、少し違います。
例えば、
「週末、出かけようと思うんだけど、家の予定は大丈夫?」
これは予定の確認です。
一方、
「週末、私が出かけても怒らないかな?」
こちらは、相手の機嫌を確認しようとしています。
似ているようで、ずいぶん違います。
しかも、相手が不機嫌になるかどうかが、自分の行動を決める重要な条件になっているのです。
大人になり、親元を離れ、仕事を持ち、自分の生活を築いてきた。
それなのに、人生の大切な決断をするときには、誰かの顔色をうかがってしまう。
どうやら、人生の稟議書だけは、まだ誰かの机の上にあるようです。
しかも、その机がどこにあるのかさえ、よく分からないことがあります。
親の期待という、最初の採点表
私たちは子どもの頃から、さまざまなことを評価されながら育ちます。
良い成績を取れば褒められる。
言いつけを守れば良い子だと言われる。
親の期待に応えれば喜んでもらえる。
反対に、期待に応えられなかったときには、がっかりされたり、叱られたりすることもあります。
もちろん、親が子どもの将来を考えて助言することは自然なことです。
しかし、親の期待に応えることが、自分の価値を確かめるための大切な方法になってしまう場合があります。
「親が喜んでくれるなら、これでいい」
「親が認めてくれるなら、私は間違っていない」
こうして、自分が何を望んでいるかより、親がどう思うかを優先する習慣が生まれることがあります。
例えば、本当は芸術を学びたかったのに、親が安心する進路を選んだ人。
興味のある仕事があったのに、親の勧める安定した職業に就いた人。
自分が好きなものより、親に褒められるものを選び続けてきた人。
それらの選択が、必ず間違っていたわけではありません。
ただ、もし自分の希望を口にするたびに否定されてきたとしたら、いつしか希望を伝えること自体に不安を感じるようになるかもしれません。
「私はこれがしたい」
そう言う前に、
「これをしたら、どう思われるだろう?」
と考える。
自分の希望より、誰かの反応を予測することが先になってしまうのです。
親の代わりに、今度は誰が採点する?
さて、子どもはいずれ大人になります。
親元を離れ、結婚したり、仕事を始めたり、さまざまな経験を積んでいきます。
もう親の許可がなくても生活できるようになります。
ところが、ここで興味深いことが起こる場合があります。
親の期待に応える生活から離れたはずなのに、今度は別の誰かの期待に応えようとするのです。
結婚すれば、夫から認められたい。
義理の両親から、良い妻だと思われたい。
職場では、上司に評価されたい。
何かを学び始めれば、先生に優秀な生徒だと思われたい。
もちろん、大切な人に認められたいと思うのは自然なことです。
しかし、その評価がなければ自分の選択に自信を持てないとしたら、どうでしょうか?
親から離れて自由になったはずなのに、今度は夫の顔色を見ている。
夫の評価から離れたと思ったら、職場の上司の評価が気になる。
新しい世界を見つけたと思ったら、今度は尊敬する先生の言葉が絶対の基準になっている。
……あれ?
人生の採点者が交代しているだけではありませんか?
親から夫へ。
夫から上司へ。
上司から先生へ。
まるで、人生の審査委員会が定期的にメンバー交代しているようです。
しかも、委員会を解散するという選択肢は、なかなか思いつきません。
でも、そもそも誰がその委員会を設置したのでしょう?
そして、あなたの人生を採点する権限を、いつ誰が与えたのでしょうか?
許可を求めることには、ちょっと便利なところもある
ここで、もう一つ考えてみたいことがあります。
人が誰かの許可を求めるのは、必ずしも相手を恐れているからだけではないと思うのです。
実は、誰かに決めてもらうことには、少し便利なところもあります。
例えば、何か新しいことを始めたいとします。
本当は興味がある。
やってみたい。
でも、うまくいくかどうか分からない。
お金も時間もかかるかもしれない。
失敗したら、後悔するかもしれない。
そんなとき、誰かに相談します。
「どう思う?」
相手が「やってみれば?」と言ってくれたら、安心して始められます。
ところが、相手が反対したら?
「そうよね。やっぱり今はやめておこうかな」
これで、自分が決断する必要はなくなります。
やりたいことを諦める理由もできました。
しかも、「私はやりたかったけど、反対されたから」と説明できます。
もちろん、反対の内容が現実的で、考え直す必要がある場合もあるでしょう。
しかし、自分の決断を誰かに委ねているとしたら、そこには別の問題があります。
誰かの許可があれば安心して動ける。でも、許可がなければ動かなくて済む。
これは、なかなか都合のよい仕組みです。
なぜなら、自分で決断しなければ、選択の結果に対する不安を少し軽くできるからです。
ただし、その代わりに、自分が本当に望んでいたことまで諦めてしまう可能性があります。
誰かに決めてもらうことで、失敗の不安から逃れようとしていたはずなのに、気づけば自分の人生を選ぶ機会まで減っている。
これでは、少々もったいない話です。
他人の機嫌を守るために、自分の希望を諦めていませんか?
もう一つ、よくあるのが「相手の機嫌」を基準にしてしまうことです。
例えば、夫が不機嫌になるとします。
それが嫌なので、自分の予定を変更する。
夫が気に入らなそうなことは、最初から言わない。
何かを始めたいと思っても、相手の反応を想像して諦める。
こうした対応を繰り返しているうちに、自分が何を望んでいるのかさえ分からなくなってしまうことがあります。
相手の機嫌を損ねないようにすることが、日常生活の最優先事項になってしまうのです。
けれども、少し考えてみてください。
相手が不機嫌にならないようにすることは、本当にあなたの責任なのでしょうか?
相手には相手の感情があります。
自分には自分の感情があります。
誰かが不機嫌になったからといって、その感情を自分がすべて解消しなければならないわけではありません。
もちろん、家庭の中でお互いに配慮することは必要です。
共同生活に関わる決定なら、相談や合意が必要になることもあります。
また、相手の威圧や暴力がある場合には、安全の確保を優先しなければなりません。
しかし、相手の感情を尊重することと、相手の感情によって自分の行動をすべて決めることは違います。
「相手がどう感じるか」は、相手の領域です。
「私はどうしたいのか」は、自分自身が考えることです。
この二つを区別できなくなると、自分の人生なのに、自分で決められないことが増えてしまいます。
いつの間にか、自分自身が一番厳しい監視員になっている
さて、ここまで誰かの評価や許可について考えてきました。
でも、私が特に興味深いと感じるのは、もう一つの現象です。
それは、誰かから許可を求められているわけでもないのに、自分で自分の行動を制限してしまうことです。
例えば、
「そんなことを始めたら、周囲から笑われるかもしれない」
「今さら何をやっているんだと思われそう」
「家族から自分勝手だと言われるかもしれない」
そう考えて、まだ何も起きていないうちから行動を諦めてしまう。
誰かに言われたわけではありません。
でも、自分の頭の中には、すでに周囲の人たちの反応が出来上がっています。
そして、その想像上の反応に従って、自分の行動を決めてしまうのです。
これでは、誰かが自分をコントロールしているというより、自分自身が誰かの代わりにコントロールしているようなものです。
監視員がいなくなったのに、自分で監視員の仕事を引き継いでしまったわけです。
しかも、年中無休。
休日もありません。
なかなか働き者の監視員です。
でも、その仕事、本当にこれからも続ける必要があるのでしょうか?
自分で決めることと、わがままは違う
ここまで読むと、
「じゃあ、周囲の意見なんて聞かずに、好きなことをすればいいの?」
と思われるかもしれません。
もちろん、そんなことではありません。
人は一人で生きているわけではありません。
家族との生活があります。
仕事上の責任があります。
経済的な事情もあるでしょう。
だからこそ、相談したり、協力したり、時には自分の希望を調整したりすることも大切です。
しかし、相談することと、自分の人生の決定権を相手に渡すことは違います。
例えば、新しいことを学びたいと思ったとします。
「私はこれを学んでみたいと思っている」
まず、自分の希望を認識する。
そのうえで、時間や費用、家族との予定など、現実的な条件を確認する。
必要なら家族と相談する。
そして、自分で納得できる選択をする。
それが、主体的に決めるということではないでしょうか。
反対に、
「夫がどう思うか分からないから、私はどうしたいか考えても仕方がない」
となってしまうと、自分の希望を検討する段階にさえ進めません。
自分で決めるとは、何でも思い通りにすることではありません。
自分の希望を持ち、現実の条件を理解したうえで、自分が納得できる選択をすることです。
そして、その選択に自分自身で向き合っていくことなのだと思います。
自分の人生に、自分で許可を出してみる
クリアサイトでは、自由意志を大切にしています。
自分が何を感じているのか。
何を望んでいるのか。
そして、どのような理由で行動を選んでいるのか。
こうした自分自身の意識を観察することを学びます。
他人の期待や評価に応え続けていると、自分の希望と、相手に喜んでもらうための行動が区別しにくくなることがあります。
そこで、少し立ち止まって考えてみるのです。
「私は、本当はどうしたいのだろう?」
「誰かに反対されることを恐れているのだろうか?」
「その人が賛成してくれなかったとしても、私はこの選択をしたいと思うだろうか?」
すぐに答えが見つからなくても構いません。
最初は、自分の希望を認めることさえ難しいかもしれません。
長い間、周囲の期待を優先してきた人にとって、自分の望みを選ぶことは、慣れない作業だからです。
そんなときは、小さなことから始めてみてはいかがでしょうか。
今日の昼食に何を食べたいか。
休日に何をして過ごしたいか。
誰と会いたいか。
何に時間を使いたいか。
誰かの希望を確認する前に、まず自分自身に問いかけてみる。
自分の答えが見つかったら、それを尊重してみる。
そして、実際に選んでみる。
小さな選択でも、自分で決める経験を重ねることには意味があると思います。
もちろん、選んだ結果がいつもうまくいくとは限りません。
でも、自分で選んだからこそ、そこから学べることもあります。
自分の人生を選ぶ権利は、誰かに認めてもらって初めて手に入るものではないのです。
今回の「人間って、めんどくさい。」
最後に、一つ質問させてください。
あなたが今、誰かの許可を待っていることはありませんか?
新しいことを学ぶこと。
自分のためにお金を使うこと。
仕事を変えること。
好きな場所に行くこと。
あるいは、誰かの期待に応えることをやめること。
もちろん、周囲との調整や準備が必要なこともあるでしょう。
でも、その中に、本当は自分で決められることはありませんか?
誰かが賛成してくれたら始めよう。
誰かが認めてくれたら挑戦しよう。
誰かが許してくれたら、自分の好きなことをしよう。
そう考えているうちに、何年も過ぎてしまうことがあります。
そして、ある日ふと気づくのです。
「あれ? 私はいつまで、誰かの許可を待っているんだろう?」
子どもの頃は、親の許可が必要でした。
でも、今のあなたは、もう自分で考え、選ぶことのできる大人です。
誰かの意見を聞いてもいい。
相談してもいい。
助けを求めてもいい。
ただし、あなた自身の希望まで、誰かに決めてもらう必要はありません。
自分の人生の主導権を誰かに預けていると、その人の都合で人生の予定が変更されてしまいます。
しかも、預かった本人は、自分があなたの人生の責任者になっていることさえ知らないかもしれません。
それでは、少々困りますよね。
さて、あなたの人生の稟議書。
今、誰の机の上にありますか?
もしかしたら、ずっと自分の机の引き出しに入ったままだったりして。
そろそろ、自分の人生に自分で決裁印を押してみませんか?
もちろん、押した後に何が起こるかは、誰にも分かりません。
それでも、自分で選んだ人生には、自分自身が関わっていくことができます。
誰かの許可を待ち続けるより、そちらの方がずっと面白いかもしれません。
人間って、本当にめんどくさいですね。
「人間って、めんどくさい。」は、クリアサイトジャパン代表・飯田まりの(麻璃凛/まりりん)が、人間の意識や行動、日常の中にある思い込みを、少し辛口のユーモアを交えて考察するコラムです。
もう少し、自分のことを知りたい方へ
麻璃凛の個人セッションでは、あなたの中で何が起きているのか、どんな思い込みや習慣が働いているのかを、一緒に見つめていきます。
誰かに正解を決めてもらうのではなく、自分自身を理解し、自分で選べるようになるための時間です。
麻璃凛の個人セッション
自分のことを、もう少し知る時間。
次回予告:第5話「人を助けているつもりが、実は相手の人生を奪っている?」
(11月13日18:00 配信予定)
誰かを助けてあげたい。その気持ちは素晴らしいものです。でも、あなたが何でも解決してしまったら、相手が自分で乗り越える機会はどうなるのでしょう? 親切心の中に隠れた、もう一つの人間の矛盾について考えます。

