シリーズ【人間って、めんどくさい。】
– クリアサイトジャパン代表の、ちょっと深い人間観察 –
「人のため」のつもりが、実は自分のためだったり。人間の行動には、本人さえ気づかない本音や思い込みが隠れているもの。クリアサイトジャパン代表・飯田まりの(麻璃凛/まりりん)が、日常に潜む人間の矛盾や意識の不思議を、ちょっと辛口、ユーモアを交えてひもとく全5話。自分の人生を自分で選ぶためのヒントをお届けします。
あなたの完璧主義、私が直してあげます!
世の中には、人の間違いに気づくのがとても上手な人がいます。
「あの人、ちょっと完璧主義でちゃってるよ」
「もっと柔軟に考えればいいのに」
「自分の考えを人に押し付けちゃダメだよね」
そんなことを言いながら、誰かの行動を観察しています。
確かに、言っていることは間違っていないのかもしれません。
ところが、その人自身の行動を見ていると、何やら気になることがあります。
自分が完璧主義だと思う相手に対して、
「完璧主義になり過ぎると疲れるわよ」
「相手の自由意志を尊重しなきゃ」
「目標が高くなりすぎて自己肯定感が下がるわよ」
と、一生懸命アドバイスしているのです。
……ちょっと待ってください。
それって、相手の考え方を自分の望むように変えようとしていませんか?
本人は、相手が他人をコントロールしていることに気づかせてあげたいのでしょう。
でも、その行為自体が、相手をコントロールしようとする行動になっているかもしれません。
「人をコントロールしちゃダメ!」と、相手をコントロールする。
なんだか、ややこしいことになってきました。
人間って、めんどくさいですね。
正しい人を、さらに正そうとする人
例えば、ある学びの場での出来事を想像してみてください。
長い時間をかけて、尊敬する先生から技術や考え方を学んできた人がいます。
その人にとって、先生の教えはとても大切なものです。
だから、新しく学び始めた人にも、正しい方法を伝えたいと思っています。
「先生は、そういうやり方は教えていなかったよ」
「きちんと教わった通りにやった方がいいよ」
本人にとっては、親切な指導のつもりです。
ところが、その様子を見ていた、さらに経験豊富な人がこう言います。
「あなた、完璧主義が出ているわよ」
「もっと相手の自由意志を尊重しなきゃ」
言われた方は、少し戸惑います。
「でも、先生の教えを正しく伝えようとしただけなのに……」
すると、さらにこんな言葉が返ってきます。
「だから、その正しくなければいけないという考え方が問題なのよ」
さて、ここで質問です。
この二人は、いったい何が違うのでしょうか?
一人は、先生の教えに従うよう相手に求めています。
もう一人は、完璧主義を手放すよう相手に求めています。
もちろん、教育の場では技術の誤りを訂正することも必要ですし、相手の行き過ぎた行動を指摘しなければならない場面もあります。
問題は、指摘すること自体ではありません。
自分は正しいことを知っている。
だから、相手も自分の考え方に従うべきだ。
そんな前提が、どちらの人の中にもあるかもしれないということです。
しかも、お互いに自分は正しいことをしていると思っています。
こうなると、正しさの競争はなかなか終わりません。
「私は分かっている」という新しい落とし穴
私は、人が何かを深く学んだとき、興味深いことが起こる場合があると感じています。
例えば、人が他人の問題を背負ってしまうこと。
相手を自分の思い通りに動かそうとしていること。
自分の価値観を押し付けていること。
以前なら気にも留めなかった行動の中に、さまざまな問題を発見するようになります。
これは、学びによって視点が広がったということでしょう。
ところが、ここからが厄介です。
他人の問題が見えるようになると、自分はその問題を理解している人間だと考えやすくなることがあります。
「あの人は、まだ自分の問題に気づいていない」
「私は、その段階をもう通り過ぎた」
そんな感覚です。
もちろん、実際に経験を積み、理解が深まっていることもあるでしょう。
しかし、他人の問題に気づけることと、自分自身が同じ問題を持っていないことは、まったく別の話です。
例えば、相手が完璧主義であることに気づいた人。
その人は、相手の完璧主義が気になって仕方ありません。
そして、その完璧主義を何とかしてやめさせようとします。
でも、相手が自分のアドバイスを受け入れなかったら?
「どうして分からないの?」
「自分の問題にちゃんと向き合うべきなのに!」
そんなふうに、だんだん苛立ってくるかもしれません。
あれ?
相手が自分の考え通りにならないことに、強い不満を感じていませんか?
他人の完璧主義には敏感なのに、自分の完璧主義は意外と見えない。
人間の意識は、なかなか都合よくできているものです。
他人を観察していると、自分のことを忘れてしまう
ここで、もう一つ考えてみたいことがあります。
私たちは、他人の行動を見ているとき、その人の何が問題なのかを考えます。
「あの人は承認欲求が強い」
「あの人は人をコントロールしようとしている」
「あの人は自分の価値観を押し付けている」
こうした分析は、必ずしも間違いではないでしょう。
しかし、気をつけたいことがあります。
それは、他人の問題を分析している間、自分自身の意識がどこに向いているのかということです。
「あの人の問題は何だろう?」
と考えることに夢中になって、
「私はなぜ、あの人の問題がこんなに気になるのだろう?」
という問いを忘れてしまうのです。
例えば、誰かの傲慢な態度が許せないとします。
その人の言動が本当に問題である場合もあるでしょう。
けれども、なぜ自分がそこまで強く反応しているのかを考えてみると、別のものが見えてくることがあります。
自分が大切にしている価値観を否定されたように感じたのかもしれません。
自分の努力を軽く扱われたように思えたのかもしれません。
あるいは、自分も同じようなことをしていると、どこかで気づいているのかもしれません。
もちろん、他人の問題を見つけるたびに、自分にも同じ問題があるというわけではありません。
それでも、相手の問題ばかりを見ていると、自分自身の反応を観察する機会を失ってしまいます。
他人を観察する能力が高くなっても、自分を観察する能力まで自動的に高くなるわけではないのです。
正しさにも、上下関係を作りたくなる?
もう一つ、私が興味深いと思うのは、人が自分の理解度を他人と比較し始めることです。
「私は、あの人より理解している」
「私の方が経験が長い」
「私は、もっと本質的なことに気づいている」
学びの場では、経験の差があるのは当然です。
長く学んできた人が、新しく学び始めた人に技術を伝えることも必要でしょう。
しかし、経験が長いことと、人間として上の立場にいることは同じではありません。
相手より理解していることが、自分の存在価値を証明する手段になってしまうと、話が変わってきます。
自分より未熟だと思う人を見つけることで、安心する。
相手の間違いを指摘することで、自分の正しさを確認する。
そして、自分より理解していないと思う相手の言動が気になって仕方なくなる。
こうなると、学びの目的がいつの間にか変わってしまいます。
自分自身を成長させるために学んでいたはずなのに、他人の成長度合いを採点することに一生懸命になっている。
気づけば、頼まれてもいないのに「人間性の採点係」に就任しているわけです。
しかも、この役職、給料は出ません。
それなのに、なぜか残業までしてしまう。
人間って、本当にめんどくさいですね。
相手を変えたいのは、誰のため?
第1話では、他人の問題を引き受けることの裏に、自分自身の問題から目をそらしたい気持ちがある場合について考えました。
第2話では、人から必要とされることで、自分の価値を確かめようとする心理を取り上げました。
実は、今回の「相手の間違いを正したい」という行動にも、似たような動機が隠れている可能性があります。
相手を正すことで、自分の知識や経験が役に立つと感じられる。
自分の方が理解していると確認できる。
自分が信じている考え方が正しいと証明できる。
もちろん、すべての指摘がこのような動機から生まれるわけではありません。
しかし、自分の正しさを確認するために相手を変えようとしているとしたら、それは本当に相手のためなのでしょうか?
そして、相手が変わらなかったときに腹が立つとしたら、何を期待していたのでしょうか?
もしかしたら、相手の成長を願う気持ちと、自分の考えを認めてほしい気持ちが、混ざり合っているのかもしれません。
自由意志を尊重するということ
クリアサイトでは、自分自身の自由意志と同じように、相手の自由意志を尊重することを大切にしています。
私は、これは簡単なようで、とても難しいことだと思っています。
例えば、相手が間違った選択をしているように見えるとき。
その選択によって、相手が苦労するかもしれないと予測できるとき。
あるいは、自分が過去に経験した失敗と同じことを、相手が繰り返そうとしているとき。
そんな場面では、つい口を出したくなるものです。
でも、相手が自分の助言を聞いたうえで別の選択をするなら、その選択をどこまで尊重できるでしょうか。
相手に危険が迫っている場合や、誰かを傷つける行動をしている場合には、必要な介入もあるでしょう。
また、教師が生徒に技術を指導したり、組織がルールを守るよう求めたりすることも、当然必要です。
けれども、そうした責任や権限がない場面でも、相手の考え方を自分の望むように変えなければ気が済まないとしたら?
そこで一度、自分自身を確認してみる価値がありそうです。
クリアサイトのスキルを使って自分の状態を観察することは、他人の問題を見つけるためだけのものではありません。
自分の意識がどこに向いているのか。
何に反応しているのか。
なぜ相手を変えたいと思っているのか。
そうした自分自身の状態を知るためにも使うものです。
他人の自由意志を尊重するとは、相手に何も言わないことではありません。自分の意見を伝えながらも、相手を自分の思い通りに動かすことを目的にしないということです。
「分かっている人」にならなくてもいい
私は、人が何かを学ぶとき、すぐに何でもできるようになる必要はないと思っています。
理解できないことがあってもいい。
間違えることもあるでしょう。
以前は分かっていたつもりなのに、別の場面では同じ失敗をしてしまうこともあります。
それでも、学び続けることはできます。
自分の問題に気づくことも、誰かに指摘されることも、決して自分の価値が下がる出来事ではありません。
そして、誰かの問題に気づいたからといって、自分がその人より優れた人間になったわけでもありません。
もし、相手に何かを伝えたいと思ったなら、まず自分に問いかけてみてもよいでしょう。
「私は、何のためにこの人を正そうとしているのだろう?」
「相手が私の意見を受け入れなくても、私は大丈夫だろうか?」
「この人の問題を、私が解決しなければならない理由はあるのだろうか?」
そして、もう一つ。
「私は今、自分自身の問題を見ているだろうか?」
これが、案外難しいのです。
他人の問題は、外から見ているのでよく分かるような気がします。
ところが、自分の問題となると、さまざまな言い訳や正当化が始まります。
自分のことなのに、なぜか一番分かりにくい。
本当に、人間ってめんどくさいですね。
今回の「人間って、めんどくさい。」
さて、ここまで他人の正しさや完璧主義について、いろいろと書いてきました。
しかし、ここで私自身も一つ考えなければならないことがあります。
他人のコントロールに気づき、それをこうして文章にしている私自身はどうなのでしょうか?
「人の問題ばかり見ていないで、自分の問題を見ましょう」
そう言っている私が、読者の皆さんに自分の考えを押し付けていたら?
……それでは、私も同じことをしているわけです。
人間って、つくづくめんどくさいものです。
でも、私はそれでよい部分もあると思っています。
人は自分の矛盾に気づくことができます。
昨日まで正しいと思っていたことを、今日もう一度考え直すこともできます。
そして、今までとは違う行動を選ぶこともできます。
大切なのは、誰よりも正しくなることではなく、自分自身の意識や行動に気づき続けることではないでしょうか。
他人の間違いを見つけたとき、自分がその人より正しいことを証明する必要はありません。
相手には相手の人生があります。
そして、自分には自分の人生があります。
誰かを正すことに一生懸命になるより、自分自身がどう生きるのかを考える。
それだけでも、ずいぶん忙しくなりそうです。
なにしろ、自分という人間も、なかなかめんどくさいのですから。
「人間って、めんどくさい。」は、クリアサイトジャパン代表・飯田まりの(麻璃凛/まりりん)が、人間の意識や行動、日常の中にある思い込みを、少し辛口のユーモアを交えて考察するコラムです。
もう少し、自分のことを知りたい方へ
麻璃凛の個人セッションでは、あなたの中で何が起きているのか、どんな思い込みや習慣が働いているのかを、一緒に見つめていきます。
誰かに正解を決めてもらうのではなく、自分自身を理解し、自分で選べるようになるための時間です。
麻璃凛の個人セッション
自分のことを、もう少し知る時間。
次回予告:第4話「親の期待から卒業したはずなのに、まだ誰かの顔色を見ている」
(11月6日18:00 配信予定)
親の期待に応える人生を卒業したはずなのに、今度は夫や上司、先生から認められようとしている。もしかしたら、私たちは知らないうちに、人生の採点者を次々と交代させているのかもしれません。

